大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

仙台高等裁判所 昭和36年(ネ)84号 判決

控訴人 飯塚元治

被控訴人 小野寺和夫

主文

原判決を次のとおり変更する。

被控訴人の本訴請求を棄却する。

被控訴人は控訴人に対し一関市桜街二番の一宅地二二七坪二合五勺及び同所所在家屋番号一関第九三九番居宅木造亜鉛メツキ鋼板葺二階建一棟建坪四五坪九合四勺外二階一二坪七合一勺について、昭和三五年四月五日売買による所有権移転登記手続をせよ。

被控訴人は控訴人に対し金一五、五七五円及びこれに対する昭和三五年七月一九日以降完済まで年五分の割合による金員を支払え。

控訴人のその余の反訴請求を棄却する。

訴訟費用は第一、二審を通じて本訴の分は被控訴人の負担とし、反訴の分はこれを八分し、その一を被控訴人の、その余を控訴人の負担とする。

事実

控訴代理人は「原判決を取り消す。被控訴人の請求を棄却する。(反訴として)被控訴人は控訴人に対し主文第三項掲記の宅地建物について、売買による所有権移転登記手続をせよ。被控訴人は控訴人に対し金一七九、一二五円及びこれに対する昭和三五年七月一九日以降完済まで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は第一、二審を通じて本訴及び反訴とも被控訴人の負担とする。」との判決を求め、被控訴代理人は控訴棄却の判決を求めた。

当事者双方の事実上の主張並びに証拠関係は、被控訴代理人において

一、控訴人主張の後記一の事実を否認する。被控訴人の受取つた手附金一〇〇、〇〇〇円は民法第五五七条第一項にいう手附である。

二、同二の事実中被控訴人の従前の主張に反する点を否認する。

と述べ、控訴代理人において

一、本件売買契約に際し控訴人が被控訴人に交付した手附金一〇〇、〇〇〇円はいわゆる証約手附であつて、解除権を保留したいわゆる解約手附ではない。被控訴人も控訴人も手附倍返しして契約を解除できる趣旨で右手附金を授受したものではなく、それは単に契約の成立の証拠とし、将来代金の内金にあてるだけのつもりであつたものである。

二、かりに右手附が解約手附であるとしても、被控訴人の解除の意思表示は従前主張のごとく本件売買契約の履行に着手した後になされたもので、その効力がない。すなわち昭和三五年四月五日本件売買契約が成立した際、売主である被控訴人は売買の仲介者である阿部千作に対し、校務多忙のため所有権移転登記手続をするためには同月一五日の一日だけしか現地一関市に出張することができないから、本件売買において売主側がなすべき一切の手続(所有権移転登記のほか本件宅地の実測、本件建物の正確な調査など)の準備をそれまでにとつておいてほしい旨を依頼した。そこで右阿部は買主である控訴人にもその旨を告げ、翌四月六日から土地家屋調査士千田忠兵には本件宅地建物の調査、測量及びその書類の作成を、また司法書士小野寺親二には各種登記申請書類の作成を依頼し、同月一五日にその完了を期した。そして右千田の手を介して本件宅地建物を調査、測量し、被控訴人名義をもつて、地形図測量図により土地地積申告書(乙第七号証)、家屋平面図により家屋面積訂正申告書、各付属家屋滅失申告書(同第八号証の一ないし三)を作成し、これによつて同月一四日法務局備付の本件宅地の土地台帳面に宅地二六七坪五合四勺を宅地二二七坪二合五勺と地積訂正を得、一方右小野寺の手を介して被控訴人名義をもつて土地所有者の住所更正登記申請書(同第一号証)、地積訂正による土地表示更正登記申請書(同第二号証)、建物所在並びに床面積訂正による建物表示更正登記申請書(同第三号証)、床面積減少による建物表示変更各申請書(同第四、五号証)、家督相続による建物所有権移転登記申請書(同第六号証)を作成し、なお同月一五日には被控訴人が現地一関市に出張し、所有権移転登記と同時に売買残代金一、二〇〇、〇〇〇円を授受する約であつたので、同日付で登記申請に要する本件宅地建物にかかる不動産売渡証書(同第一三号証)、所有権移転登記申請書類(同第一四号証の一ないし三)を作成準備したものである。また買主である控訴人も昭和三五年四月一四日までに売買代金一、三〇〇、〇〇〇円を一関信用金庫に預け入れ、売主側の所有権移転登記手続の履行と同時に残代金一、二〇〇、〇〇〇円を支払い得られるよう準備をしていたのである。右は売主側より見ても、また買主側より見ても契約上の債務の一部履行に該当し、従つて民法第五五七条第一項にいう「契約の履行に著手」した場合といえる。よつてその後になされた被控訴人の解除の意思表示は効力がない。

と述べ〈証拠省略〉たほかは、すべて原判決の事実摘示と同じであるので、これを引用する。

理由

第一、本訴についての判断

一、被控訴人が昭和三五年四月五日控訴人に対し、一関市桜街二番の一宅地二二七坪二合五勺及び同所所在家屋番号一関第九三九番居宅木造亜鉛メツキ鋼板葺二階建一棟建坪四五坪九合四勺外二階一二坪七合一勺(たゞし、右宅地及び建物の坪数、面積については成立に争いのない乙第一五号証の一、二によつてこれを認める。)を代金一、三〇〇、〇〇〇円で、同月一五日(被控訴人はこれを同月一六日と主張するけれども、当初の約束がそうでないことは後記認定のとおりである。)右代金支払いと同時に所有権移転登記手続をする約定で売渡し、控訴人が同日手附金として金一〇〇、〇〇〇円を被控訴人に支払つたこと、ところが被控訴人が同月一四日控訴人に対し右手附金の倍額である金二〇〇、〇〇〇円を送金返還すると同時に右売買契約を解除する旨の意思表示を発し、それが同月一六日控訴人に到達したこと及び控訴人が右宅地建物につき同月五日付右売買による所有権移転請求権保全の仮登記手続をとつたことはいずれも当事者間に争いがない。

二、被控訴人は本件売買契約は右手附金倍戻しによる解除の意思表示によつて適法に解除されたと主張するのに対し、控訴人は前記金一〇〇、〇〇〇円はいわゆる証約手附として被控訴人に支払つたものであるから、解除権の留保はなく、かりにそれがいわゆる解約手附であるとしても、被控訴人の右解除の意思表示は被控訴人控訴人が右売買契約の履行に着手した後になされたものであるから、解除の効がないといつて争うので、この点を判断するに、売買の手附は反証のない限り民法第五五七条第一項所定の解除権留保の趣旨のいわゆる解約手附と認むべきものなるところ控訴人の全立証をもつてしても前示金一〇〇、〇〇〇円の授受についてこれと異なる趣旨で授受されたことを首肯せしめるに足りないから、右金一〇〇、〇〇〇円はいわゆる解約手附と見るほかないところで成立に争いのない乙第七号証、第八号証の一ないし三、原審証人小野寺親二の証言により成立を認める乙第一ないし第六号証(たゞし、いずれも添付委任状の成立については当事者間に争いがない)第一三号証、第一四号証の一ないし三に原審及び当審証人阿部千作、小野寺親二の各証言並びに原審における被控訴人、原審及び当審における控訴人各本人尋問の結果を綜合すれば、本件売買契約は昭和三五年四月五日当時水戸市にあつた被控訴人方において、同所に出向いた控訴人の代理人阿部千作と被控訴人との間に締結されたが、その際被控訴人は右阿部に対し、自分は教職にあつて校務多忙のため本件宅地建物所在地の一関市には同月一五日の一日くらいしか出向けないから、同日自分が出向いたらすぐにも所有権移転登記手続がとれるようそれまでに本件宅地建物の測量、床面積、地積の訂正、各種登記申請書類の作成等一切の準備をしておくことを依頼したこと、そこで右阿部は一関市に戻り、控訴人にその旨を告げたうえ、右依頼に基き同月六、七日頃土地家屋調査士千田忠兵に本件宅地建物の調査測量及びその書類の作成を、また司法書士小野寺親二に本件売買契約による所有権移転登記手続をとるのに必要な各種登記申請書類の作成を依頼し、同月一三日頃までには申請人被控訴人名義の控訴人主張のような各種登記申請書等(乙第一ないし第六号証)及び直接右所有権移転登記申請に必要な不動産売渡証書(同第一三号証)、所有権移転登記申請書とその委任状(同第一四号証の一ないし三)を作成用意すると共に、同月一四日には法務局備付の本件宅地の土地台帳面に宅地二六七坪五合四勺を宅地二二七坪二合五勺と地積訂正の登載を得、被控訴人が同月一五日に一関市に来るならば直ちに本件売買契約による所有権移転登記手続をとり得る態勢をととのえたこと、一方控訴人においても同月一四日には一関信用金庫に売買代金残一、二〇〇、〇〇〇円を用意し、右所有権移転登記がなされれば、いつでもこれを支払い得る状態にあつたことをそれぞれ認めることができ、当審における被控訴人本人尋問の結果中右認定に副わない部分は措信し難く、他には右認定をくつがえすに足る証拠はない。

以上認定事実によれば、控訴人が代金支払の用意をしたことはともかくとして、右阿部が被控訴人の依頼に基いて前記のように各種の登記申請書類等の用意あるいは本件宅地の地積訂正等をしたことは被控訴人が阿部を介して本件売買契約につき売主として当然しなければならないことをしたものであり、被控訴人は結局売主として負担した債務の履行にとり掛つたものであるから、その時において、すなわち遅くとも昭和三五年四月一三日ないし一四日までにおいて民法第五五七条第一項にいう「契約の履行に著手」したものというべきである。なぜなれば民法第五五七条第一項による売買契約の解除権行使の制約基準である履行に著手するまでというているところの「履行に著手する」者については、同法条には「相手方」とはなく、単に当事者の一方とあり、契約当事者の売主買主のいずれをも指すものと解し得られるのみならず、本件の場合のように解除権の行使者の売主自身が履行に著手したときは売主においてもはや解除しないという意思を表明したものと見られ、相手方の買主においても売主に解除の意思がないものとして買受物件を他に転売するなどの爾後の取引行為に出るか、少くとも売主の履行に期待してみずからの履行著手をさしひかえるのが通例であるから、結局売主自身が履行に著手したときも、相手方の買主においてしたときと同様解除権の行使を制約しなければ不測の損害を相手方に被らせることになる虞れがあるからである。

そうだとするとその後同月一六日到達したものと認められる被控訴人の前示解除の意思表示は被控訴人が本件売買契約の履行に著手した後になされたもので、無効というべきである。

三、それなら本件売買契約が有効に解除されたことを前提として控訴人に対し前示所有権移転請求権保全の仮登記の抹消登記手続の履行を求める被控訴人の本訴請求は失当であり、これを棄却すべきである。

第二、反訴についての判断

一、前に説示のように被控訴人の解除の意思表示が無効であるとすれば、他に反対の事情のない限り本件売買契約は有効に存続しているものというべきである。そして成立に争いのない乙第一七号証によれば控訴人は昭和三五年四月二六日水戸地方法務局に前記代金全額(残代金一、二〇〇、〇〇〇円と被控訴人が手附倍戻しとして控訴人に送金した金二〇〇、〇〇〇円との合計金一、四〇〇、〇〇〇円)を供託したことが明らかである。それなら被控訴人は控訴人に対し右売買による所有権移転登記手続をなすべき義務があるから、控訴人の反訴請求中被控訴人に対しその履行を求める部分は正当としてこれを認容すべきである。

二、次に控訴人は本件売買代金は宅地一坪当り金五、〇〇〇円の約であつて、前記金一、三〇〇、〇〇〇円は宅地が一応二六〇坪あると見ての代金額で、真の坪数の確定をまつて調整されるべき趣旨のものであると主張をするが、原審及び当審証人阿部千作の証言中この点に副う趣旨の部分は前掲乙第一三号証の記載や控訴人が前示のとおり昭和三五年四月二六日になつて代金として一、三〇〇、〇〇〇円を供託していること及び原審及び当審における被控訴人本人尋問の結果に徴して信を措き難く、他に右主張を認めるに足る証拠はない。それなら控訴人の反訴請求中代金が坪当り金五、〇〇〇円であることを前提として被控訴人に対し過払代金の返還を求める部分は失当としてこれを棄却すべきである。

三、しかし成立に争いのない乙第一一号証、弁論の全趣旨から真正に成立したものと認める同第一〇号証の一、二とそれらが控訴人の手許にあることに当審における控訴人本人尋問の結果をあわせ考えると、控訴人は本件宅地建物についての測量、申告書、図面の作成等の費用として合計金一二、三五〇円を前記千田忠兵に、また本件宅地建物についての各種登記申請書類の作成等の費用として合計金三、二二五円を前記小野寺親二に支払つたことが認められるところ、右測量、申告書等の作成、各種登記申請書類等の作成は前示のとおり売主である被控訴人がこれを前記阿部千作に依頼したものであり、またその性質から見ても売主側でなすべきこと(債務)であり、従つてそれに要した費用は被控訴人においてこれを負担すべきものである。よつて右費用を控訴人が支払つたとすればそれは買主側における費用の立替えとして、特に反証のない限り当然被控訴人からその返還を受け得るわけであるから、控訴人の反訴請求中被控訴人に対し右費用合計金一五、五七五円及びこれに対する本件反訴状送達の日の翌日であること記録に徴し明らかな昭和三五年七月一九日以降完済まで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金の支払を求める部分は正当としてこれを認容すべきである。

第三、以上と認定を異にする原判決を叙上の趣旨に変更することとし、民事訴訟法第九六条、第九二条、第八九条に従い、主文のとおり判決する。

(裁判官 村上武 上野正秋 新田圭一)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例